Lienについて

Lien立ち上げについて

Lien〜リアン立ち上げに込められた思い

コンサルタント会社にも拘らず、なぜワイン販売?と思われる方も多いのではないでしょうか。
今は亡き父は生粋の会計人で、とても厳格な人でした。厳しく曲がったことが嫌いな父でしたが、夜の晩酌で見せるほろ酔い姿の父は陽気で、いつも周りに誰かが集まっていたように思います。楽しそうに大人たちが集い、酒を交わす姿はどこか特別な時間のように感じられ、幼心に酒への興味が湧いたのと同時に、大人の格好良さに憧れを抱きました。
昭和4年頃、ジョニーウォーカーが日本に入り始め、「ジョニ黒」「ジョニ赤」と呼ばれ人気を博しました。父も当時ジョニ黒、ジョニ赤を買ってきては親戚や近所の人を呼んで楽しそうに飲み交わしていました。今にして思えば、その当時の大学新卒の給料は5,500円〜6,000円ほどで、ジョニーウォーカーは1万円くらいだったと記憶しています。単純に計算してもお給料の2か月分ですから、随分と太っ腹な父だったのだなと思います。
そんな父の姿がありましたから、二十歳を迎えた時には浴びるように酒を飲みました。結果痛い目に合うわけです(笑)

リアン立ち上げ

それから暫くして、札幌黒ラベルが世間一般で人気となりました。家では父がコツコツと買い貯めたビールを母が風呂上りに合わせてキンキンに冷やし、用意してくれました。父より先に開ける度、母が来てこう言ったものです。「お父さんが芳直と飲むのを楽しみに買ってきているのだから、お父さんを待っていてあげなさい」と。
今は懐かしい思い出ですが、その時のことを振り返り、お酒とは誰かとの時間を共有するために飲むもの。その場を作るためのエッセンスなのだと気づかされました。
ワインとの出会いは早稲田商学部時代の大学教授が振る舞ってくれたシャトー・ムートン・ロスチャイルドでした。1855年のパリ万博で初めて行われたワインの格付けでは必ず一級を取ると目されていたシャトー・ムートン・ロスチャイルドですが、格付け2級と付けられます。
その際、
Premier ne puis, second ne daigne, Mouton suis.「我第1級足り得ず、されど第2級を肯ぜず、我ムートンなり」との言葉を遺しています。
その後118年間もの長きに渡る努力の末、第一級に格付けされ、引き継いだバロン・フィリップが言った言葉には再び鳥肌が立つほどの感動を覚えました。
Premier je suis, Second je fus, Mouton ne change.「我第1級になりぬ、かつては第2級なりき、されどムートンはムートンなり」と。

私はこの言葉の先にロマンを感じたのです。そこからワインの世界に魅せられていきました。
その頃には、スーパーにもようやくワインが置かれるようになりました。かといって、まだ学生の身分でしたから買えるワインは限られていました。もっぱら購入していたのはMADONNA(マドンナ)やCALVET(カルベ)です。下宿先で毎晩のように人を呼んで飲み語り合っていました。
卒業後は現在の株式会社船井総合研究所の前身となる、日本マーケティングセンターに入社しました。コンサルタントになってからは、海外での勉強会を行ったり、フランスのシャトーを巡ったりと頻繁にヨーロッパを訪れるようになりました。

ワイン

最初はブルゴーニュのシャンベルタン、コルトン、そしてボルドーへ。縁があってイタリアのパスタメーカーを顧問先に持ち、現地の方々に様々なお店に連れて行っていただきました。そんな時、ナパワインを仕入れているワイン会社の経営者と知り合いました。
既にパリテイスティング事件があり、ワイン業界に新しい風が吹き始めていましたが、未だ半信半疑の自分がいました。
ナパに初めて訪れたのは2000年頃だったでしょうか。フロッグスリープのジョン・ウィリアムズと親交を深めるようになり、グレースファミリーのディック・グレース、フレンチランドリーのトーマス・ケラーとの出会いに恵まれました。「サトウ、よく来たね!!待ってたよ。今日はどんなプランにする?」そんな声をかけてもらえるようになりました。彼らから、素晴らしいもてなしの心と時間的価値に気づかせてもらったのです。

そんな中、私は運命の出会いを果たします。それは、1997年のロバートモンダヴィとの出会いでした。
「このナパで何を学ぶのがいいでしょうか?」そんな質問に、ロバート・モンダヴィはこう答えました。
「ナパの風を感じて帰りなさい」
彼のこの言葉を思い出す時、高台から見た広大なぶどう畑の情景がありありと、目に浮かんできます。フランスへの尊敬心を抱きながらも決してフランスに負けないワインを!!最高のワインを多くの人に楽しんでもらいたい。そんな思いと未来への希望、自身の哲学に溢れた土地であることに感動しました。

ぶどう畑

私にとってワインとは「人」なのだと思います。ワインには人柄が現れます。どんな作り手か。そこが大切なのです。人と人との縁と繋がりがワインにより深みを与えるのです。実際にナパに行ったことがない方々にも、その素晴らしさを伝えたい。その思いが、リアンを創業した理由です。
リアンが皆さんにお伝えするのは、未来へのヴィジョンを明確に描いた人々が「今」という時代を築き上げ、ワイナリーを通し表現しているということです。
ものづくりの考え方が今のナパの礎を築いたと言っても過言ではないでしょう。歴史はフランスと違って全くありませんが、ナパで出会ったオーナーとの出会い。それを伝えるワイナリーで働く人々との出会いが私の価値観を大きく変えてくれています。

出会いに恵まれて生まれたLien〜リアン。是非その点にも思いを馳せ、ワインをお楽しみ下さい。