ワイナリー紹介
メルカワインズの紹介
MELKA WINES
スターコンサルタント フィリップ・メルカのプライベートブランド MELKA WINES
「ぶどうはテロワールを語る」
と話してくれたPHILIPPE MELKA(フィリップ・メルカ)。土壌はワインの原動力であるとの哲学を反映しています。メルカワインズは様々な試行錯誤の末、現在4つのブランドを展開しています。METISSE(メティス)とCJ(シージェー)はナパバレーから、MEKKERA(メッケラ)はソノマバレーから、そしてMAJESTIQUE(マジェスティック)はアメリカを含む世界中の特質すべき畑から生み出されるブランドです。
フィリップ・メルカは地質学、農耕学、ワイン学の学位を取得し、更に栽培学と醸造学を学びました。妻シェリーはアメリカにいる時から微生物学を学び、ボルドー第Ⅲ大学でも勉学を続けました。夫妻はそれぞれ名門と呼ばれるエステイトに身を置いた時期があります。
フィリップが勤めた中にはHaut Brion(オー・ブリオン)、Chittering Estate(チッタリング・エステイト)、Badio O Coltibuono(バディア・ア・コルティブオーノ)、The Moueix dominas(ムエックス・ドミナス)そしてDominus(ドミナス)があります。
フランスからナパに移り、1996年から様々な試行錯誤を繰り返し、スタートしたメルカワインズ。自らのブランドを造るという目的を持ち、夫妻で違うワイナリーに勤めることで多くのことを学び、お互いを高めあってきました。
創業したばかりの頃は、生産数がたったの500ケースで、ブランドもメティスとCJのみでした。その5年後、フィリップ・メルカがワインコンサルタントとして急成長し、人気を博すようになりました。それと共に自社ワインも牽引するようになります。
2001年になると、ナイツバレーにメッケラ・エステートを25エーカー購入し、次のフィールドへのステップアップの為、並々ならぬ努力を続けました。2003年にセントヘレナのジャンピングゴート・ヴィンヤードからメティス特有のファーストヴィンテージが生産され、2004年にはナイツバレーに新しくぶどうが植えられました。2006年にSaint Emilion Chateau Le Chatelet(サン・テミリオン・シャトー・ル・シャルレ)から史上初めてマジェスティックの為のぶどうが作られたのです。
創業から20年以上経ち、当初は2種類のワインからスタートしたメルカワインズも、現在10種の多種多様な性質を持ったワインが作られるようになりました。
2017年には新しい施設も完成。
フィリップ・メルカの哲学を存分に感じることができるワインの数々を、是非お楽しみください。
ブランドエチケットに込められた思い
メルカワインズのブランドエチケットにはフィリップ・メルカの目が象徴的に使われています。
「目は真実を語る」
彼の情熱とワイン造りへの信念を、その目を通して垣間見て欲しいとの思いが込められています。
また2017年のヴィンテージからは妻シェリー、長男ジェレミー、長女クロエの目もエチケットに使用されています。
瞳の色はそれぞれのヴィンヤードのイメージカラーに合わせて、青色、緑色、茶色へと変化しています。
フィリップ・メルカの伴走者 シェリー・メルカ
シェリーは北アリゾナ大学で微生物学の学位を取得後、独学でワイン醸造学の学位を獲得しました。シェリーはカリフォルニアという土地と、仕事をバリバリこなす人生への、強い決意を胸に秘めていました。シェリーは6年間で2つの医療微生物学会社で検査技師として働く傍ら、ワインを作るプロセスの背後にある科学的な側面に興味を持ち、別の分野への転身を決心します。幸運にも1989年にRidge Vineyard(リッジ・ヴィンヤード)での地位を得ることに成功しました。
その後、5年間に渡ってワイン醸造家ポール・ドレーパーの指揮の下で、ワイン醸造研究家としてリッジ・ヴィンヤードの研究室で働きました。その間に彼女は生産についても理解を深めるようになります。1991年、ドミナスエステートにインターンできていたフィリップメルカと運命的な出会いをします。一緒になった後、ヨーロッパへ渡り、1994年ボルドー第III大学でフランス研究の卒業証書を取得するに至りました。
1994年に新婚夫婦としてカリフォルニアに戻り、Beaulieu Vineyards(ボーリュー・ヴィンヤード)で品質管理を担当。その後Silver Oak Cellars(シルバー・オーク・セラーズ)でラボマネージャーを務めました。会社の成功の為に並々ならぬ努力をし、2001年には会社の経営に関するCEO、CFO、マーケティング決定、販売戦略に奔走、すべてのブレンド決定におけるポートフォリオの制作にも参加します。
常に二人三脚でメルカワインズの成功を応援し自身も努力してきたシェリー。
下の写真はフィリップとシェリーが迎えてくれた日の一枚です。
MELKA WINESの最高のコネクター、シルビー・レイリー
シルビーは2013年にブランドマネージャー並びにセールスディレクターとして、メルカエステイトの一員になりました。故郷フランスでは、レストランビジネスを生業とする一家に生まれました。彼女は経営とソムリエとしての知識に富んでおり、彼女を一言で表すと”マルチタスカー“なんでもこなしてしまうスーパーウーマンで、なくてはならない存在です。
シルビーは、リヨンのピエール・オルシでソムリエとして働いていました。1980年代初頭にカリフォルニアのワインについて学ぶため自身の視野を広げることを決心。そして北カリフォルニアの地が、自分の人生に欠けているパズルのピースであると気づくのです。
アメリカに移り住んだシルビーは、その後1976年からスタートした、ロバートモンダヴィによる「グレートシェフ」プログラムに入り、サンフランシスコにあるZuni café(ズーニ・カフェ)の経営等を学び、ロスに移りChef Joachim Splichal(シェフ・ジョアキムスプリチャル) とChef Fred Eric(シェフ・フレッドエリック)と共に働きました。彼女は最終的にパートナーのサム・ペリゴと一緒に自分のレストランBouchon Bistro Lyonnais(ブション・ビストロ・リヨネー)をオープンしました。娘の誕生を機にナパバレーに戻り、ドナとジョバンニ・スカラと一緒に働いた後、Riedel(リーデル)のワイナリー販売ディレクターとして7年間勤めました。
そしてようやく、小さくとも素晴らしいワイナリーで働きたいという願いが、メルカワインズで叶うのです。
現在は、テイスティングに訪れる世界中の顧客への対応の他、国際的なワイン販売会場で売買に携わり格付け等もこなします。ワインのブレンドに関するコンプライアンスも任されています。一方でワインの収穫の時期にはぶどうの仕分けを行ったり、フォークリフトやショベルカー等の重機の運転もこなします。
メルカチームは正に少数精鋭部隊なのです!!
そんなシルビーとの会話の中で彼女がフィリップメルカについてこう語っています。
「フィリップはたとえ他のワイナリーであろうとも、そこで働く人々の夢が叶うように。そんな思いでお手伝いをしているのよ。日本ではまだ知られていないSKIPSTONE(スキップストーン)というワイナリーもその一つ。世界中のワイナリーにそんな思いで取り組んでいるの。
メルカワインのワインは、フィリップのソフトで紳士的な人柄が投影されたワインばかり。サトウが言うようにワインには人柄が出るの。
私も日本の皆に出会って、日本とフランスの共通点は何かって考えてみたのだけれど…
古いものを大切に大切に育めるところだと思うのよね。ワインを通して縁が繋がってくれたら嬉しいわ。是非メルカワインズを楽しんでほしいわ。