ワイナリー紹介

アルファオメガの紹介

ALPHA OMEGAについて

ぶどう畑が広がる一本道を進むと、開けた空間に美しい噴水が見えてきます。世界中からワイン好きが訪れる旧世界と新世界を表現したブティックワイナリー、それがALPHA OMEGA(アルファ・オメガ)です。アルファ・オメガは、ナパの中心部に位置し、2006年に一つの大きな使命を抱き立ち上げられました。それは、
「ナパのワインを世界的なワインにすること!!」でした。
ロビン・バジェットとエリック・スクラーの二人は、この同じヴィジョンを共有し、現在まで走り続けてきました。

噴水

ロビン・バジェットは約25年前にアマチュアワインメーカーとして、サン・ルイス・オビスポにあるエドナ・ヴァレーに800エーカーの畑を持ち、後にTOROSAワイナリーやコートサイドセラーを所有するに至りました。
エリック・スクラーは事業家一家の生まれで、30年以上に渡ってナパのトップワイナリーにカベルネ、メルロー、ソーヴィニョン・ブランを供給してきた生粋の栽培家一家の生まれでもあります。
アルファオメガのぶどうは、ナパの中でも特級と呼ばれ、Oakville(オークヴィル)にあるBECKSTOFFER TO KALON(ベックストッファー・トゥ・カローン)、ATRAS PEAK(アトラス・ピーク)のSTAGECOACH(ステージコーチ) 、SPRING MOUNTAIN(スプリングマウンテン)のHudson(ハドソン)、CARNEROS(カーネロス)にあるHUDSON(ハドソン)などから集められています。
アルファ・オメガの醸造家チームは卓越した醸造の経験をもとに、それぞれのぶどうの個性を生かしたブレンドを行い、新旧融合の一本を生み出しています。

アルファオメガのワイン

2人の醸造士
Joan Hoefliger ジョン・ホフリガー
彼はスイスで生まれ育ち、スイス、ボルドー、サウスアフリカの名だたるワイナリー、シャトー・ランシュ・バージュ、シャトー・カルボニュー、ミヤルスト・エステイト等でワイン作りの経験を積み、スイスの連邦大学で醸造学とブドウ栽培を学び、フランス旧世界のクラシックな醸造についての知識を深めました。その後カリフォルニアの地を踏み、ニュートン・ヴィンヤードで5年間務め、満を持して2005年ブティック・ワイナリーのアルファ・オメガに参画しました。彼の情熱、高い知識、ぶどうの声を聴く天賦の才は、彼を必然ともいうべく、ナパの最高のぶどうへと導き、世界と肩を並べるにふさわしいワインを生み出すことに成功しています。
「ワインを飲む前に、ワインの作り手がどんな人間であるかを知っておくことが大切だと思うんだ。」
この一言が彼のワイン造りへの姿勢を表しているのではないでしょうか。
現在はアルファ・オメガのワインメーカー兼共同経営者であると同時に、Vマドロンの経営者の一人として、伝統を守りつつ、革新を続けています。

Michel Rolland ミシェル・ローラン
ミシェル・ローランは13か国以上、約100を超えるクライアントを抱える超人気コンサルタントです。そのベースはボルドースタイルと言われています。
1947年フランス西南のLibourne(リブルンヌ)地方に生まれ、ワイン醸造家を生業とする一家で育ちました。一家はポムロームにChateau Le Bon Pasteur(シャトー・ル・ボン・パストゥール)を所有していました。ミチェル・ローラン自身もボルドー大学で醸造学の学位を収めています。ミシェル・ローランはフランスの地にも幾つかの畑を所有しています。1973年にリボルンヌにワイン醸造所を譲り受け、1976年にはその全権を引き継ぎます。それを機にテイスティングルームを併設したラボへと拡大します。2006年迄に、フランス全土から年間800件を超えるサンプル依頼が来るようになりました。軌道に乗っていましたが、ミチェル・ローランには一つの思いがありました。それは、
「直にお客様に会い、実際に領地を訪れ、そこで働く人々の意見や哲学を知りたい。」
という思いです。
その後、その思いを叶えるべく、ワインコンサルタントに転身します。アメリカの地を踏んだ時はまだ自身にとってナパの地が素晴らしいワインコンサルタントとしての揺り籠になるとは思ってもいませんでした。「ナパという地で最も素晴らしいワインを作る。」その発展のために働き、ナパに来て30年目の節目の時に、自分のワインを作るという夢をようやく実現しました。自身の名前を冠にしたMRを立ち上げたのです。
そのミシェル・ローランがアルファ・オメガの醸造コンサルタントとして迎えられました。並外れた専門的知識とその審美眼を以って、ワインメーカーのジョンと2006年のヴィンテージから共同で取り組んでいます。ミシェル・ローランはスクリーミングイーグル、アラホ、スローンエステート、ダラヴァレマヤなど多くのワイナリーのコンサルタントとしても活躍しています。

人物紹介〜コネクター〜
アルファオメガ始まって以来のトップアンバサダー!!ジョー・ボネリ

ジョー・ボネリ

私は、最初アルファオメガのワインクラブメンバーでした。
その頃の私はワイン好きが高じて、毎週妻と一緒にナパにきて、ワインテイスティングを楽しむ日々を過ごしていました。その日々の中で、私は改めて自分がワイン好きということに気づき、家を売ってナパに移り住むことを決心しました。家を売ったあと、私は3か月間家のない生活を妻と送りました。その間は、友達の家や娘の家など泊めてくれる家を転々としながら就職活動をしていました。
そして、私は運よくワインクラブメンバーだった、アルファオメガに就職することができたのです。
ナパに住み、アルファオメガで働くことで、今まで以上にワインのことが好きになり、アルファオメガのことも大好きになりました。今では、毎晩アルファオメガのワインを飲まないと寝られないぐらいです(笑)!
佐藤との出会いは2013年の4月。当時から私の最高のお客様でしたが、今は売り手と買い手という関係性を超え、私のベストフレンドと言って良い間柄にまで関係性を高めることができました。縁とは不思議なものですね。

メルカワインズの紹介

MELKA WINES
スターコンサルタント フィリップ・メルカのプライベートブランド MELKA WINES

「ぶどうはテロワールを語る」
と話してくれたPHILIPPE MELKA(フィリップ・メルカ)。土壌はワインの原動力であるとの哲学を反映しています。メルカワインズは様々な試行錯誤の末、現在4つのブランドを展開しています。METISSE(メティス)とCJ(シージェー)はナパバレーから、MEKKERA(メッケラ)はソノマバレーから、そしてMAJESTIQUE(マジェスティック)はアメリカを含む世界中の特質すべき畑から生み出されるブランドです。

ぶどう畑

フィリップ・メルカは地質学、農耕学、ワイン学の学位を取得し、更に栽培学と醸造学を学びました。妻シェリーはアメリカにいる時から微生物学を学び、ボルドー第Ⅲ大学でも勉学を続けました。夫妻はそれぞれ名門と呼ばれるエステイトに身を置いた時期があります。
フィリップが勤めた中にはHaut Brion(オー・ブリオン)、Chittering Estate(チッタリング・エステイト)、Badio O Coltibuono(バディア・ア・コルティブオーノ)、The Moueix dominas(ムエックス・ドミナス)そしてDominus(ドミナス)があります。
フランスからナパに移り、1996年から様々な試行錯誤を繰り返し、スタートしたメルカワインズ。自らのブランドを造るという目的を持ち、夫妻で違うワイナリーに勤めることで多くのことを学び、お互いを高めあってきました。
創業したばかりの頃は、生産数がたったの500ケースで、ブランドもメティスとCJのみでした。その5年後、フィリップ・メルカがワインコンサルタントとして急成長し、人気を博すようになりました。それと共に自社ワインも牽引するようになります。
2001年になると、ナイツバレーにメッケラ・エステートを25エーカー購入し、次のフィールドへのステップアップの為、並々ならぬ努力を続けました。2003年にセントヘレナのジャンピングゴート・ヴィンヤードからメティス特有のファーストヴィンテージが生産され、2004年にはナイツバレーに新しくぶどうが植えられました。2006年にSaint Emilion Chateau Le Chatelet(サン・テミリオン・シャトー・ル・シャルレ)から史上初めてマジェスティックの為のぶどうが作られたのです。
創業から20年以上経ち、当初は2種類のワインからスタートしたメルカワインズも、現在10種の多種多様な性質を持ったワインが作られるようになりました。
2017年には新しい施設も完成。
フィリップ・メルカの哲学を存分に感じることができるワインの数々を、是非お楽しみください。



ブランドエチケットに込められた思い
メルカワインズのブランドエチケットにはフィリップ・メルカの目が象徴的に使われています。
「目は真実を語る」
彼の情熱とワイン造りへの信念を、その目を通して垣間見て欲しいとの思いが込められています。
また2017年のヴィンテージからは妻シェリー、長男ジェレミー、長女クロエの目もエチケットに使用されています。
瞳の色はそれぞれのヴィンヤードのイメージカラーに合わせて、青色、緑色、茶色へと変化しています。

ブランドエチケット

フィリップ・メルカの伴走者 シェリー・メルカ
シェリーは北アリゾナ大学で微生物学の学位を取得後、独学でワイン醸造学の学位を獲得しました。シェリーはカリフォルニアという土地と、仕事をバリバリこなす人生への、強い決意を胸に秘めていました。シェリーは6年間で2つの医療微生物学会社で検査技師として働く傍ら、ワインを作るプロセスの背後にある科学的な側面に興味を持ち、別の分野への転身を決心します。幸運にも1989年にRidge Vineyard(リッジ・ヴィンヤード)での地位を得ることに成功しました。
その後、5年間に渡ってワイン醸造家ポール・ドレーパーの指揮の下で、ワイン醸造研究家としてリッジ・ヴィンヤードの研究室で働きました。その間に彼女は生産についても理解を深めるようになります。1991年、ドミナスエステートにインターンできていたフィリップメルカと運命的な出会いをします。一緒になった後、ヨーロッパへ渡り、1994年ボルドー第III大学でフランス研究の卒業証書を取得するに至りました。
1994年に新婚夫婦としてカリフォルニアに戻り、Beaulieu Vineyards(ボーリュー・ヴィンヤード)で品質管理を担当。その後Silver Oak Cellars(シルバー・オーク・セラーズ)でラボマネージャーを務めました。会社の成功の為に並々ならぬ努力をし、2001年には会社の経営に関するCEO、CFO、マーケティング決定、販売戦略に奔走、すべてのブレンド決定におけるポートフォリオの制作にも参加します。
常に二人三脚でメルカワインズの成功を応援し自身も努力してきたシェリー。

下の写真はフィリップとシェリーが迎えてくれた日の一枚です。


MELKA WINESの最高のコネクター、シルビー・レイリー
シルビーは2013年にブランドマネージャー並びにセールスディレクターとして、メルカエステイトの一員になりました。故郷フランスでは、レストランビジネスを生業とする一家に生まれました。彼女は経営とソムリエとしての知識に富んでおり、彼女を一言で表すと”マルチタスカー“なんでもこなしてしまうスーパーウーマンで、なくてはならない存在です。
シルビーは、リヨンのピエール・オルシでソムリエとして働いていました。1980年代初頭にカリフォルニアのワインについて学ぶため自身の視野を広げることを決心。そして北カリフォルニアの地が、自分の人生に欠けているパズルのピースであると気づくのです。
アメリカに移り住んだシルビーは、その後1976年からスタートした、ロバートモンダヴィによる「グレートシェフ」プログラムに入り、サンフランシスコにあるZuni café(ズーニ・カフェ)の経営等を学び、ロスに移りChef Joachim Splichal(シェフ・ジョアキムスプリチャル) とChef Fred Eric(シェフ・フレッドエリック)と共に働きました。彼女は最終的にパートナーのサム・ペリゴと一緒に自分のレストランBouchon Bistro Lyonnais(ブション・ビストロ・リヨネー)をオープンしました。娘の誕生を機にナパバレーに戻り、ドナとジョバンニ・スカラと一緒に働いた後、Riedel(リーデル)のワイナリー販売ディレクターとして7年間勤めました。
そしてようやく、小さくとも素晴らしいワイナリーで働きたいという願いが、メルカワインズで叶うのです。
現在は、テイスティングに訪れる世界中の顧客への対応の他、国際的なワイン販売会場で売買に携わり格付け等もこなします。ワインのブレンドに関するコンプライアンスも任されています。一方でワインの収穫の時期にはぶどうの仕分けを行ったり、フォークリフトやショベルカー等の重機の運転もこなします。
メルカチームは正に少数精鋭部隊なのです!!

そんなシルビーとの会話の中で彼女がフィリップメルカについてこう語っています。
「フィリップはたとえ他のワイナリーであろうとも、そこで働く人々の夢が叶うように。そんな思いでお手伝いをしているのよ。日本ではまだ知られていないSKIPSTONE(スキップストーン)というワイナリーもその一つ。世界中のワイナリーにそんな思いで取り組んでいるの。
メルカワインのワインは、フィリップのソフトで紳士的な人柄が投影されたワインばかり。サトウが言うようにワインには人柄が出るの。
私も日本の皆に出会って、日本とフランスの共通点は何かって考えてみたのだけれど…
古いものを大切に大切に育めるところだと思うのよね。ワインを通して縁が繋がってくれたら嬉しいわ。是非メルカワインズを楽しんでほしいわ。